宮崎夏次系「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」感想

宮崎夏次系「夢から覚めたあの子とはきっと上手く喋れない」を読みました。
http://morning.moae.jp/lineup/317


私にとってあまりにも馴染み深い気持ち悪さを、そのまま梱包したような短編集でした。
あまりに身近すぎて、自己投影を交えずに語ることが出来そうになく、言葉にすることをためらいました。
今から語るのも、結局自分の話です。

日常と呼ばれているものは、多かれ少なかれ気持ち悪いものを含んでいます。
気持ち悪いものが含まれているのも、それを平気な顔で飲み込んで生きていくのも、健全なことだと思っています。
飲み込めないほど大きな気持ち悪さも、普通の気持ち悪さを飲み込めないほど調子の悪い喉や胃腸もなく、とりあえずやって行ける程度には健康であるというのは、本当にありがたいものです。

健全ですし、全くよろしいことですが、しかしその健全さそのものが気持ち悪い。
気持ち悪さを飲み込んでけろっとしているなんて、不気味です。

だからと言って、それを不気味だと騒ぎ立てようとは思いません。
みんなが飲み込んで見えなくしている気持ち悪いものを堂々と晒したり、
逆に気持ち悪くなんてないと主張したりするつもりもありません。
そんなことはしたくないのです。別に。

それでもその気持ち悪さを——みんなが飲み込んでいるものも、みんなが飲み込んでいることも共有したいと願うなら、
たぶんそのまま梱包するのが一番いいのです。形も味も変えずに。

これは簡単なことではありません。
誰かに届ける過程で、形を変えたり、添加物を使ったりする必要が出てくるのは、食べ物も同じですよね。
感覚を、抽象的なものを、そのままエピソードの形に梱包するって、これはすごいことなのです。
(エピソードの形にすることは元々そうしたものの出力には適してはいるんですが、それにしたってすごい。)

そうしてこの気持ち悪さは私に届きました。
私にとってあまりにも馴染み深い気持ち悪さでした。
私にとって当たり前で、いつも側にあるものです。今更言葉にはしません。

ただ、これが私に届いたこと。
この、誰とも共有するつもりのなかった気持ち悪さを、受け取るという形で共有できたことは。
とてもとても、すごいことなので、語っておきたかったのでした。

他の単行本も買います。